木更津は、江戸時代から昭和中期まで、東京を出入りする船の最終/最初の補給地として栄えた港町であった。やがて新日本製鉄君津製鉄所ができたことで突然、商業都市として成長しはじめ、休日には駅前で大渋滞が起きるのがあたりまえであった。やがて製鐵所が規模を縮小し、あとには広い道路と、ガラガラのビルと、たくさんの看板が残った。
ここにあつめたものは、2011年12月29日午後現在の木更津の看板・書き文字である。
第七部は完結編。ほか6部よりも写真数が多いです。
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