2016年9月15日更新
表紙を刷新
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2016年6月 更新
著者名を追加
あとがきを修正しました。
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2014年8月3日更新
紙本に合わせてページ数を調整しました。
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2014年8月2日更新
目次を追加修正しました。
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2014年7月8日更新
冒頭の解説文を一部修正しました。
立ち読み出来るページ数を増やしました。
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これは後に弘法大師、空海となる真魚が、まだ小さな子供の頃のお話です。
その昔、西暦で言いますと七七四年の六月十五日、ここ讃岐の国、当時は多度郡屏風ヶ浦と呼ばれいる所にある家に、一人の男の子が生まれました。
父親はこの一帯を治めている、佐伯直田公善通(さいきのあたい・たぎみ・よしみち)、母は玉依姫(たまよりひめ)といいました。
その男の子は“真魚(まお)”と名付けられ、とても大切に育てられました。
真魚は、言葉と文字を覚えるのが驚くほど早く、また、病気一つせずに育ったので、それゆえ家族や近しい者からは貴物“とふ(う)ともの”とも言われていました。
真魚は自分より年上の大人、時には学問の先生やお寺の和尚さんから言葉や文字、それにもっと難しい詩や学問の話を聞く事が大好きでした。もちろん同じ年頃の子供達と遊ぶ事も好きでしたが、好奇心や探究心に誘われて、一人で野山を歩き回る事の方が多かったかもしれません。
季節は初夏、真魚が七歳になってからしばらく経ったある日のことです。
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