米国の自然主義文学の先駆とされる作家、スティーヴン・クレインの一連の短編の新訳。
アーネスト・ヘミングウェイは二十代の若い作家志望者に助言を求められ、トルストイの『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』、ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』など世界文学の古典が並んでいるが、そのリストのトップに記されているのが、スティーヴン・クレインの『青いホテル』と『オープン・ボート』という二つの短編だった。
クレインは二十八歳で早世したため作品の数も多くなく、著名とはいえないがフォークナーやヘミングウェイなど後の世代の作家にも大きな影響を与えた。
『オープン・ボート』は、スペインからの独立を画策しているキューバに新聞社の通信員として取材に向かうために乗っていた船が沈没し、漂流した末に生還したという作者自身の実体験に基づいている。
クレインはその体験を新聞にノンフィクションの手記として記載し、その半年後に小説『オープン・ボート』として雑誌に発表している。
手記では状況について事実に即して簡潔に報告しているが、小説では、全長三メートルの手こぎボートに乗った四人の心の動きに焦点をあて、状況の説明を極力はぶき、極限状況における心理劇として再構築している。
本書では新聞に掲載された手記と小説の両方を訳出しているので、同じ事故をめぐるノンフィクションとフィクションを読み比べることで、すぐれた作家の創作手法や意識の違いがはっきり読み取れる。
『青いホテル』はオープン・ボートとは逆に心理描写がなく、登場人物の目に見える行動のみを追うことで、東部からの旅行者の不条理な死の顛末を描いている。簡潔で乾いた文体でつづられ、ヘミングウェイの短編集に入っていてもさほど違和感がない作品。
『新しい手袋』と『モンスター』はワイロムヴィルという中西部の架空の町を舞台にした作品。
前者は子供の家出騒動について、子供の視点から心の動きを克明に描いた佳品。後者では医師の家庭で起きた火災をめぐって、人間の誠実さとは何か、小さな共同体における人の噂や社会の空気、フェイクやヘイトといったものの持つ力などが描かれ、SNS全盛の二十一世紀のネット社会の縮図を見るよう。あまりに現代的で、現代にこそ通じる作品である。
目次
はじめに
新しい手袋
スティーヴン・クレインの実体験にもとづく遭難についての手記
オープン・ボート
青いホテル
モンスター
訳者あとがき
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