『古事記』と新潟県西部に伝説のある、奴奈川姫と大国主命の時代は、日本に稲作文化が広がり始めたころである。八千矛(大国主は異名の同人)が持っていた矛の原形が中国南方にある。そこには稲作と鳥崇拝の深い関係があった。大国主命を想像できる画像もある。大国主命が祀られる出雲大社は、高床式の9本柱だが、その9本柱の原始の神社が中国にあった。神社の源流は中国にあり、記録も残る。日本の弥生時代にも9本柱の建物が多くあった。稲作農耕文化には相撲や綱引き、闘牛がある。また米はモチやチマキの素材や酒の原料になる。中国南方の紹興酒は、日本酒と同じ度数だ。
稲作は古代、中国東南海沿岸の呉と越の国から伝来した。この呉・越人たちはまた、船造りや航海に長じていた。日本の弥生時代に大陸と交流があった記録もある。日本海側の越前、越中、越後の地、その越―コシの意味は何か? そして奴奈川姫のヌナの意味は何か?
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