2022年4月6日更新
いくつか誤字脱字を修正しました。若干の加筆をしました。
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地球上のあらゆる人間の集団が宗教もしくは神話をもっている。それをもたない民族や文明は無いといっていい。それはいわゆる高等宗教でなくても、この世の発生のいわれとか、そういったことである。なぜそうなのか。なぜ宗教をもたない民族がないのか。宗教をもたない民族がないということは、宗教現象にはそれなしには済まされない必然の理由があるのだろう。社会に必要だから宗教の現象があるのだろう。その理由をかんがえよう。この本は宗教社会学、宗教の歴史学、宗教の文明論および人間学。
試し読みに内容の一部分をここに転載。
宗教の社会的欲望抑制機能を理論的に分析すると、
一、人びとに安心を与え、現状に安住させる作用。
二、世俗価値を批判し否定する作用。
の二様がある。前者を消極的抑制、後者を積極的抑制機能と呼んでいいだろう。前者は現況に安住させそれ以上の欲望を捨てさせる。「足るを知る」ことである。後者は現在進行中の欲望の暴走を、超世俗価値をもって批判否定し停止させる。喩えるに、前者は火災予防で、後者は消火活動のようなことである。
この二つがあいまって健全な抑制効果を発揮する。二つが上手にバランスを取り、相より相たすけるところに本当の宗教がある。いずれかが強くなりすぎて、バランスを崩すと不健全な宗教に早変わりする。ないほうがかえって世の中のために良い邪教に変わってしまう。
前者ばかり強調されると、時の世俗権力と宗教が結託し、人間抑圧装置となる。世俗界と超世俗界両面からの強力な暴力装置になってしまう。差別行為やさまざまな社会悪を神仏の名を以て認め助長する。マルクスはこれをアヘンと呼んだ。実に正当な批判である。こころある宗教者はみなこの弊害に気づいている。警邏を鳴らす書物はいっぱいある。
つぎに後者のみ強調されると今度は社会的に危険な閉鎖的カルト団体になる。自善他悪・自尊排他ばかり主張し、他人の意見に耳をかさない。狭い範囲に凝り固まって、いつでも自派だけ正義で他はすべて悪であり、穢れていると考える。また自派は悪に取り囲まれて迫害されていると被害妄想をする。甚だしい場合は閉鎖的小宗教内部が細かに割れ、派閥抗争から各派それぞれ自善他悪を主張し陰惨な内ゲバ暴力を起す。後者の批判作用だけが強調されるとこのように宗教が抑制機能を失ってしまう。
この本の副題は Do cats religion ? (猫は信心するか?)だ。熟読するとその意味が自然に解かるようになっている。
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