2023年2月6日更新
誤字脱字の修正をしました
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2023年2月6日更新
誤字脱字修正を施しました。
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いまの政治経済社会を観察する長い本です。
前半部に総論または概論を置き、
中間部は現代の合法人身売買として労働者派遣を問います。(この部分は2000年から2006年にかけて執筆しました。20年ほどたっているため現在と少々違うイシューもあります)。
論考後半で、事実上の為政者としてのメディア企業の様態を考察します。パブリック・プレッシャー(報道プレスによる直接抑圧と、民衆による公衆抑圧を誘導する間接統治)を駆使する事実上の政府としてのニュース会社を考えます。
この21世紀のレヴィアタン(テレビ局・新聞社・大小のインターネット企業・出版社等々)がどこで沸いて、どこから栄養を吸収して成長したのでしょうか、どのように権力を得たのでしょうか。
異なるものの視方、異なる感情の仕方をする人、平凡でないボトムアップ型思考をする人を押し潰す検閲機能(世の中を唯だ一色に染め多様性を認めない)を強力に果たしているこれらビッグブラザーズ。現代の暴君たちを監督し、透明化させて、行き過ぎを抑制統御する法の仕組みを、現代憲法に欠けている内身の自由(身体の状態について権力の介入を許さない権理、じぶんの身体管理権をじぶんに取り戻す権理、個人の内心のみならず、内身への干渉を拒否できる自由)を早急に建設して、あとの世代に遺す責務がぼくたちにあると切実にねがうのです。
「だまされることに疲れてしまった私たち」で、メディア産業の役的な役割をぼくは論じた。
それはニュース会社が世の中で果たしている役割とは、その企業が翼賛政府の立場を取るか、権力(者)批判スタンスを取るかを問わず、その報道が届く範囲の国民をただ一色に染めあげる思想統制作業と、そこからはみ出しているアウトローの存在そのものを許可せず、
「ちゃんと働くまともなニンゲン」
に執拗に変えようとはたらく機能である。
また現在「まとも市民」地位にいる者がアウトローに去らないよう強力な抑止圧力をかける役目をメディア産業は担っている。そのためにメディア会社は、宣布するそのイデオロギーを、同業他社とともに社会に公布し施行することと、人びとに受け入れさせること、批判を許さないこと。それからはみ出す個人の思考と行動を禁止する(違反者には社会的制裁の形でニュース会社が罰を加える)検閲機能を果たしていると、ぼくは論じた。
要約すれば自由を抑圧するこういう風潮は、たやすくその時の権力者の希望と癒合するものである。そこから各種権力者とメディア産業との協同が生じる。それをぼくはここで「政府メディア利益共等体」または「政府メディア共等幻視体」と名づけ論じた。
歴史とはメディア産業拡大史ともいえる。日本史では17世紀から急に印刷出版メディアが成長した。すると世の中はどう変わるか。
ニュース新聞会社は、ニュースの多様性を貧弱にする。ニュースは一人ひとりの口コミの多様性を喪失し、ニュース会社が各種のメディアソフトに載せて配信するニュースのみが正当ニュースとされるのだ。
同時に私人の意見は誰からのニュースは異端ニュースとされて、人びとにまっとうなものと認知されなくなる。人びとは活字や電波に乗ってくる情報のみを、神様のお告げのように崇める。紙面等のスペースの成約から、世の中に存在するであろう種々千万なニュースのなかから、ニュース会社(とその株主など)の利害に添ったひとにぎりだけのごく少数のニュースだけが選抜され、読者に届けられる。受け取ったほうは、多様性を喪失しておそろしく貧相なニュースをただ飲み込むことだけを要請されている。
毎日毎日一億人人が全く同一のニュースを受取り、それを咀嚼しているわけなのだ。社会がたった一つの方向に傾いて走り出すのは当然であろう。
ここに非対称の権威主義が発生する。これがすなわち近代国家の政治経済社会あらゆる方面の権力のいわれである。
この本においてぼくはおおよそそういったことを論じたのである。
現代の「啓蒙の弁証法」。
21世紀の「随想録」。
を賦負しております。
1984 has arrived.Therefore We save ourselves,by awakening to wisdom.
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