県北部で福祉作業所「ひまわり」を運営する木村のもとを番組の取材撮影のためTVディレクターの橋田らクルーが訪ねていた。
「ひまわり」には個性的なメンバーが五人おり、土手向こうの隣家で飼育されている烏骨鶏と数が同じだと木村が紹介したのが印象的だった。烏骨鶏は、よく隙を見ては柵を越え逃げ出すらしく、メンバーの中にも何度か家出を繰り返す延夫や自傷行為の治まらぬ高志、それ以外のメンバーもどことなく重なる面がなきにしもあらずだ。
そんな最中、東日本大震災がやってくる。高志やメンバーの介護をしつつテレビから送られてくる映像を見ながら、津波が画面から飛び出しこちらへやってくる錯覚とともに得体のしれぬ虚無感が襲ってくる。仕事や撮影も終わり、一人、「ひまわり」に帰った木村のもとへ小包が送られてくる。それは絶縁状態にある実母からで、かつて「ひまわり」で転落事故を起こした、今は亡き木村の弟の体に埋め込まれていたチタンのボルトだった。
〇「障がい者福祉の現場からの報告といった『ひまわり』も受賞作として推した三作のなかのひとつ。地方の役所で障がい者行政を担当した経験が自分自身あるので共感にバイアスがかかったかもしれない。ストレスがたまると頭を壁にぶつける自傷行為をする利用者、そうした利用者だけでなく家族が抱えるさまざまな問題にも対処していかざるをえない現場の苦労は大きい。「脱『障がい者』宣言」をめぐるエピソードなど支援しているつもりでもいつしか生じる偏見にも目を向けていて現場の苦労なしには書けないはずだ。利用者の家族のひとりに自分でつくった核シェルターに案内されたり、東日本大震災に結びつけたカタストロフの予感も生活を綴った報告を超える構想力のひろがりも感じた。人生からしたたってきた小説をどこかで受けとめられたらと思う」(『三田文學・春季号2021』から新人賞最終選考の際の青来有一氏の評より)
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